【書評】本ものとはなにか?/豆の上で眠る【湊かなえ】
私が小学生のときの話である。
その日はとてもよく晴れていて、家を出た瞬間にこう思った。
今日はいつもと何かが違う気がする。
体がとても軽いのだ。まるで天使の羽が生えたかのように。
体が軽いと心まで軽くなって、つい口ずさんでしまう歌がある。
ラ・ラ・ラ・ランドセルは〜、て・て・て・天使のはね〜
ん? ランドセル・・・?
そう、ランドセルを忘れて登校してしまったのだった。
閑話休題。
湊かなえの『豆の上で眠る』は違和感をテーマにした物語である。
※ネタバレ注意
あらすじ
主人公である妹の結衣子とその姉・万佑子は仲のいい姉妹だった。
結衣子が小学一年生のとき、ふたつ年上の万佑子が失踪するところから本編が始まる。
家族一丸となって必死に捜索を続けるが、有力な情報は寄せられないまま二年の月日が経過した。
世間の関心も少しずつ薄れていったそんなある日、突然万佑子が保護されたという。
大好きな姉を迎えに行くと、そこには見知らぬ少女がいた。
戸惑う結衣子とは反対に、万佑子が帰ってきたと喜ぶ両親。
違和感を感じてるのは私だけ? あなたは本ものの万佑子ちゃん?
そんな違和感を持ち続けたまま大学生になった結衣子は
父の携帯に送られてきた姉からのメールを見てしまい、ついに事件の真相を知ることになる。
本ものは自分の中で信じたもの
この物語を通して湊かなえが私たちに問いかけたかったことは、本ものとはなにか? である。
『本もの』とはきっと、周りとの意見が一致した共通認識ではなく自分の中で信じたものなのだ。
人の数だけ本ものがあり、それは必ずしも一致しない。
作中では、両親は正真正銘自分たちの子どもである本ものの万佑子が帰ってきたと喜び、納得した。
一方、結衣子にとっての本ものの万佑子は、失踪する前の幼き日の万佑子のまま時間がとまっており、それは自分の中で作り出した幻想にすぎなかったと最後になって気づく。
また、万佑子は本ものの姉になろうと必死で努力し、遥は自分の本ものの家族である岸田家に戻るのが正解だと思った。
この物語は登場人物たちがそれぞれの本ものを求め、言い聞かせ、すれ違うヒューマンドラマが描かれている。
私たちは大人になるにつれ、周りとの共通認識こそが『本もの/絶対的な正解』だと思いこんでしまっていることはないだろうか。
もし、背中に豆を感じるような違和感を覚えたならば、自分の中の本ものを大切にしていけばよいと私は思う。
別に他人と答えが違ったっていいではないか。
私は一度きりの人生を自分で決めて自分で歩みたい。
最後に、この手の話になるといつも心に浮かんでくる一文を引用して、今回の書評を終えたいと思う。